人権教育の視点からみた社会に開かれた教育課程の実現 ~人権感覚を醸成するために心が揺り動かされる体験「情動体験」を数多く~ |
先生方、こんにちは。ご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
ただいま「熊本県統括コーディネーター」と紹介していただきましたが、どんな仕事をしているのか少しだけ紹介しますと、「子供たちが我が生まれ育ったふるさとに愛着を感じ、ふるさとに誇りを持ち、将来ふるさとの担い手となる人材を学校・家庭・地域が連携協働して育てていきましょう」と教育委員会や学校に呼びかけ、具体的推進方策として地域学校協働活動を推進していきましょうと啓発をしているのが私の仕事です。
今、生まれ育ったふるさとに愛着を持ち、誇りに思う子供を育てると言いましたが、このふるさとによって差別されるという人権課題がありますね。部落差別です。本日は、時間がありませんので詳しく触れることはできませんが、終わりに、平成28年に施行されました「部落差別解消推進法」について少し触れます。
いよいよ小学校ではこの4月から、中学校では来年度から新しい学習指導要領が実施されます。今回の学習指導要領で特筆すべきは「社会に開かれた教育課程の実現」ですね。
各学校では、これまで幾度となく校内研修や校長先生・教頭先生の講話等で社会に開かれた教育課程の実現に向けて議論し、準備をしてこられたことと思います。
指導要領前文に「社会に開かれた教育課程」について次のように書いてあります。
教育課程を通して、これからの時代に求められる教育を実施していくためには、よりよい学校教育を通してよりよい社会を創るという理念を学校と社会とが共有し、それぞれの学校において、必要な学習内容をどのように学び、どのような資質・能力を身に付けられるようにするのかを教育課程において明確にしながら、社会との連携及び協働によりその実現を図っていくという、社会に開かれた教育課程の実現が重要となる。 |
学校では、次のような文言一つ一つを吟味されていることと思います。
○これからの時代とはどんな時代?
○よりよい学校教育はどんな教育?
○よりよい社会とはどんな社会?
○資質・能力とはどんな能力?
○社会との連携及び協働をどのようにして進めるのか?
私はこの文言を人権の視点から見ると、次のようなことかなと思っています。
○これからの時代は、グローバル社会であり多様性が尊重される人権共存社会だと思います。
今、日本ではたくさんの外国の方が働いています。学校によっては半数近くの子供が外国籍というところもあるそうですね。これまで日本では、ややもすると同質性を重んじ異質を排除するということがありました。これからは、多様な特性を持った人たちが共存する社会になるのではなかろうかと思います。
○よりよい学校教育とは、人権課題解消のために実践・行動に移す資質や能力を身につけさせる教育ではないかと思います。後ほど詳しく考えてみたいと思います。
○よりよい社会とは、自分の人権と同じように他の人の人権も大切にする社会、いわゆる人権共存社会だと思います。
○資質・能力とは、人権教育指導方法の在り方第3次とりまとめにあります「自分の人権を守り、他者の人権を守るための実践行動力」と捉えています。
○社会との連携及び協働とは、学校・家庭・地域社会の連携による人権尊重社会の基盤づくりだと思います。
このような視点から、私が日頃思っています人権教育について話をします。
ちょうど10年前、平成22年6月、水俣の中学生とのサッカーの練習試合で、ボールをせめぎ合っている時ベンチから「水俣病 触るな」の発言がありました。学校で、水俣病はチッソ水俣工場から廃液の中に混じっている水銀による公害だと学んでいたはずです。それにもかかわらずこのような差別発言がありました。当時、差別発言した生徒が通う学校の校長先生は「表面的な知識しか伝えきれていなかった」と述べておられます。
私は、先生方が最高の人権教育指導技術を持って、最良の教材を使って、人権教育を行ってもその学習に臨む子供たちに学習内容を受け容れる素地、つまり学習内容を我が事として受け止める人権感覚がなければ学習は単なる知識しか子供の心に残らないと思います。
人権教育は、人権に関する知識と子供たち一人一人の人権感覚を養うことがとても重要だと思っています。
このことは、「人権教育の指導方法等の在り方について第3次とりまとめ」でも述べています。詳しくは、資料に添付しています「人権教育を通じて育てたい資質・能力 自分の人権を守り、他者の人権を守るための実践行動」をご覧ください。
そこには、自分の人権を守り、他者の人権を守ろうとする意識・意欲・態度は、「人権に対する知的理解」と「人権感覚」が統合する時に生じるとあります。
学びによる人権に対する知的理解を我が事として受け止める豊かな人権感覚が、人権課題解消に向けた実践行動につながる原動力と私は捉えています。
では人権感覚とはどのようなものでしょうか。第3次とりまとめでは次のように述べています。
人権感覚とは、人権の価値やその重要性にかんがみ、人権が擁護され、実現されている状態を感知して、これを望ましいものと感じ、反対に、これが侵害されている状態を感知して、それを許せないとするような、価値志向的な感覚である。「価値志向的な感覚」とは、人間にとってきわめて重要な価値である人権が守られることを肯定し、侵害されることを否定するという意味において、まさに価値を志向し、価値に向かおうとする感覚であることを言ったものである。 |
私は、この説明ではあまりぴんときません。
「人権感覚とは」がストンと心に落ちる詩があります。岐阜県で人権教育に取り組んでいらっしゃいます桑原律さんという方が表した「人権感覚って何ですか」という詩です。
「人権感覚」って何ですか 桑原 律 「人権感覚」って何ですか それは ケガをして 苦しんでいる人があれば そのまますどおりしないで 「だいじょうぶですか」と 助け励ます心のこと 「人権感覚」って何ですか それは 悲しみに うち沈んでいる人があれば 見て見ぬふりをしないで 「いっしょに考えましょう」と 共に語らう心のこと 「人権感覚」って何ですか それは 偏見と差別に 思い悩んでいる人があれば わが事のように感じて 「そんなことは許せない」と 自ら進んで行動すること 「人権感覚」って何ですか それは すどおりしない心 見て見ぬふりをしない心 他者の苦悩をわが苦悩として 人権尊重のために行動する心のこと (ヒューマンシンフォニー 光は風の中により) |
桑原さんは、人権感覚とは人権課題を我が事として受け止め、人権尊重のために行動するる力と言っています。
この人権感覚を身につけるにはどうしらよいでしょうか。
第3次とりまとめの座長を務められた筑波大学の福田先生は、「人権感覚を身につけるには、感動する感性、共感する心、自尊感情が大切」と言っておられます。
私は、豊かな感性を身につけることだと思います。豊かな感性を身につけるには、心を揺り動かされる体験、私はこのことを情動体験と言っていますが、この情動体験を数多く積み重ねることだと思います。
中学校の体育祭で、応援合戦をやり遂げたあとで応援団員が肩を組み、肩を震わせて泣いている光景をよく見かけます。あれが情動体験です。私たちは、本を読んで涙することがあります。テレビや映画を見て涙することがあります。肉親やペットの生死に遭遇したとき、喜びや悲しみで心を震わせて涙します。私は益城町で放課後子供教室を担当しています。益城町の子供教室はそろばん学習が中心です。そろばんを学習した成果を試すために、益城町商工会と連携して全国商工会主催の珠算検定試験を受験させています。受験した級に合格できた時、子供は「やったー」と言って腕を突き上げて喜びを爆発させます。また、残念ながら合格できなかった時は、その悔しさに肩を震わせて泣く子もいます。このような体験の一つ一つが子供の心を耕し、感性を育みそれが人権感覚となっていくと思っています。このようなやりきった喜びや成長の実感、努力が実を結ぶ体験等の情動体験の場や機会を、学校・家庭・地域でたくさん創り出していきましょう。
子供たちは学校生活ではいろんなことを体験し、学び、考えていきます。このようなことから学級経営を含め学校生活のことを隠れたカリキュラムと表現することがあります。
人権尊重の視点に立った学級経営に努めましょう。そのためには、すべての学校生活において人権が尊重される環境づくりが大切です。
先生方は、小学1年生の頃「チューリップ」の歌を歌われたでしょう。「咲いた 咲いた チューリップの花が 並んだ 並んだ 赤白黄色 どの花見ても きれいだな」この歌は昭和5年に東京在住の方が作詞されたものです。作詞者は、「みんなのよいところを見つめ合いましょう」というメッセージを発信しようとこの歌を作ったと言っておられます。自他のよさを認め合える学級、一人一人の存在や思いが大切にされる学級、安心して過ごせる学級づくりです。このような学級経営をするには、先生方が児童生徒の意見や思いをきちんと受けとめ、明るく丁寧な言葉で声かけを行うことです。児童生徒一人ひとりの大切さを強く自覚し、一人の人間として接することです。
小学校では来年度から、中学校では令和3年度から新しい学習指導要領が実施されます。この学習指導要領では、「主体的、対話的で深い学び」つまりアクティブラーニングが強調されています。
人権教育の視点からこのアクティブラーニングを見てみますと、その基盤をなすものは、児童生徒の個性や教育的ニーズを把握し学習意欲を高める授業であり、「わかった!」「おもしろい!」と思うなど学ぶことの楽しさを体感できる授業であり、周りの友と共に考え、学び、新しい発見や豊かな発想を生む授業つまり望ましい人間関係を培う授業であると思います。
このようなやればできるや人から認められたなどの体験が自尊感情を育むと言われています。
学校では、学級便りや学校便りが出されています。先生方の中には人権教育主任として「人権教育便り」を出している先生もいらっしゃることでしょう。学級便り等で、人権に関する情報やメッセージを家庭や地域に発信して欲しいと思います。これが人権教育を肯定的に受け容れる家庭や地域の基盤づくりになります。学校だけで人権教育を進めても子供たちの人権意識は育ちません。家庭や地域等の身近な人々と連携・協働して、人々の間に人権尊重の意識がより一層広まるような取組を進めて欲しいと思います。
この連携・協働の事例を紹介します。
私がある学校に勤務している時、学校まで5kmほどある地域の登校班で、1学期の終わり頃、いじめ問題が起きました。1年生から5年生までが一緒に登校するのです。身長差がありますので歩幅も違います。高学年から見ると、1年生はのろのろ歩いているように見えることもあったのでしょう。つい、「急げ!」と言いながらランドセルを押したり、ランドセルの肩紐を引っ張ったりしているうちに、だんだんエスカレートして、いじめへと発展していったのです。おじいさんは大変心を痛められ、何度も学校にお出でました。そのたびに学校で指導していることを丁寧に話しました。1年生の孫が勉強している教室にも案内しました。おじいさんは孫が勉強している姿を見て、安心して帰っておられました。地区でもこのいじめが問題となりました。区長さんとも解決方法を相談しました。2学期の終業式の夜、地区公民館で、区長、公民館関係者、民生児童委員、保護者、教職員で話し合いを持ちました。話し合いの終わりに、高学年の保護者がおじいさんに謝ろうとしました。そのときです。
おじいさんは、「なんばしよっと!俺にあたが謝らんちゃよか!こんいじめ問題は誰が悪かつでもなか。わしの孫に『いじめないで!』といじめをはね返す力がなかったこと。高学年の子に『弱い者をいじめることは愚かなことだ』ということに気づく力がなかったこと。周りの子に『いじめは止めよう』といじめを止めさせる力がなかったこと。この3つの力がなかったけん、いじめが起きた。わしやわしの孫のように辛い思い、きつい思い、哀しい思いをする者がこの地区から出らんごつ皆で子供たちを見守り、育てていこうじゃなかな!」とおっしゃいました。
私は、この3つの力は人権教育を通して子供たちに身に付けさせる力だと全職員に説きました。この3つの力はいじめ問題ばかりでなく、人権問題解決の本質だと思っています。
我が国における人権問題の原点は部落差別です。部落差別の存在を認め、許されない部落差別を解消し、部落差別のない社会の実現を目的とした「部落差別の解消の推進に関する法律」が平成28年に成立しました。条文は、資料として付けていますのであとで是非目を通して下さい。
第1条の目的だけを読んでみます。
(目的) 第一条 この法律は、現在もなお部落差別が存在するとともに、情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていることを踏まえ、全ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、部落差別は許されないものであるとの認識の下にこれを解消することが重要な課題であることに鑑み、部落差別の解消に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、相談体制の充実等について定めることにより、部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現することを目的とする。 |
現在もなお部落差別が存在すること、部落差別は許されないものであること、部落差別のない社会を実現することがはっきりとうたってあります。
部落差別のない社会づくりに、なお一層の教育啓発を進めていきましょう。
最後に論語の一節を紹介して終わりとします。
論語 衛靈公第十五 412
子貢問うて曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
子曰わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
※ 恕:相手の身になって思い・語り・行動することができるようになること
(論語に学ぶ会ホームページより)
私は論語を深く読んでいるわけではないのですが、衛霊公第十五412の文です。
子貢とは、孔子の門弟の一人です。その子貢が孔子に尋ねました。
「先生からお教えいただく一語を心にとめて生きていけば、生涯、人としての道を過たずに生きていけるという言葉がありましょうか」
孔子が答えました。
「それは恕だ。そして自分の望まないことは人にしないことだ」と。
「恕」とは、「相手の身になって思い・語り・行動することができるようになること」と訳してあります。
恕の心を持つ子どもたちを育てていただくことを祈念して話を終わります。
ご静聴ありがとうございました。